しがない部長が考える、給料、競馬、起業家コンプレックスとの正しい向き合い方
何故私は競馬をやるのか?昔は単純に好きだった。が、今は単純に金のためだ。
確かに競馬にこっぴどく負けたときは、良いレースだった、競馬は良いスポーツだなぁと感じる時もある。
何故なら自我が崩壊しそうだから。帰り道事故を起こしそうになってしまうから。
とはいえそれはレース後の話。レース前は常に金金だ。キンキンじゃない。カネ!だカネ!
何故競馬に金金金となってしまったのか。
部長としてサラリーマン生活を送っていることは無関係ではないように思う。
◆ 確かに競馬がスポーツだった時代もあった
ナリタブライアンのあまりの怪物ぶりに幼心ながら競馬に引き込まれ、
スペシャルウィークとグラスワンダーの有馬記念の壮絶な叩き合いに胸高まり、
そしてその時の3着馬テイエムオペラオーの翌年の無双っぷりにひれ伏しつつも、
私の黒字馬として若い私を助けていた頃は、まだまだスポーツであった。
それがディープインパクトとドリームパスポートのジャパンカップを極寒の東京競馬場で1点的中してソコソコの払い戻しを獲得して、
その足でモンクレールを手に入れてからというもの、競馬で金を手に入れることの比重が高まっていった。
当時は万馬券をというよりは堅そうな馬にドバっと今ではなかなかやらない金額をつぎ込んでいたのだ。当時はパドックも見ていなかったし。
とはいえまだまだスポーツ寄りであった。
◆ 別に競馬を生業としているわけではないが、仕事との共通点も多いようだ
そして部長になってからのここ2年、いやとくにこの1年は競馬で稼ぐにはどうしたらいいか?について腐心するようになり、結果パドックに流れつくこととなった。
言葉を発しない馬の状態を見極め、時にはジョッキーや厩務員さんの表情や話し声に目と耳を傾けながら、馬と買い方に決断を下し、それをブログでレポートする。
誰かのお役に立てればいいなと思いつつ、限られた時間の中で、予想記事をアップロードする。
自分のためにやっているのだが、お客様(つまり駄文を読んでくださる皆様)のお役に立てればという思いもある。しかし突き詰めるとシンプルに金のためにやっている。
私のこの競馬、ブログ、金の関係はこう考えるとまさに仕事との共通点も多いように感じる。
◆ 一気に失せた給料を上げたいと思う欲求
昔は1円でも給料をあげたい、そう思う事しかなかった。
給料があがったらあがったで3ヶ月、もって半年後にはもっと給料をよこせ、なんであいつが俺より貰っているんだ?年だけ喰ったFAKE野郎じゃないか、支えているのは俺じゃないか、という高慢で浅ましいサラリーマンであった。
幸運が重なり、あれよあれよとだいたい手取り45万を超えたあたりで、信じられないくらい自分の給料への興味がなくなった。志の小さなことよ。
◆ 給料への想いがなくなり悩みや煩わしいと感じることが増えた
給料への興味を失った私が思う事を思うままに以下に書いてみる。
1)会社の売上を真っ当な方法であげつづけたい
2)部下にそこに貢献していると思わせながら結果的に給料もあげてやりたい すぐ不満に思うヤツの方が多いかもしれないが、それならもういいですと泣かすまであげ続けてやりたい
3)この2つしか思っていないから、面倒くさい話は一切俺にしないでくれ 仁愛を感じてくれ
4)誰が誰をどうとか、誰が辞めたがっているとか、結論の出ていない話を一切俺の耳に入れないでくれ。勝手にやってくれ。
5)〜はいいんですかねぇ?みたいな誘導尋問みたいな話は振らないでくれ。自分がどう思うのかいってくれ。
6)ましてや他社の皆様、分け分からない提案や要望や交渉をしてくるのはやめてくれ。特に駆け引きは最悪だ。
7)俺はただ幸運だっただけなのだから、もっと偉くなりたいとか思っていないから、変に嫉妬したり羨望したりするのはやめてくれ。
8)でも将来は不安。良い未来の可能性もあるが悪い未来の可能性もある。安心とか安定が欲しい。
9)テキーラは人を幸せにする飲み物だ
10)平社員の頃毎月有休をとってゴルフにいっていた頃が懐かしい
11)競馬に行きたい。競馬に行きたい。競馬で勝ちたい。
12)タイ最高
だめだ止まらない。ほとばしる情熱が止まらない。永遠に書けそう。
◆ 金を巡るヒリヒリした感覚とエクスタシー
部長になった結果、良くも悪くも、自分と周囲の人間やモノについて、双方に依存関係が増した。
ポジティブなものは良いが、ネガティブなコトやモノやヒトが自分の精神に予想以上に影響を与えることに気づき、そういったものへの拒絶反応が生まれた。
結果、自分の給料に対するプライオリティーは激しく下がり、そしてことサラリーマンとしては、お金よりもそういったモノにいかに触れないか、という点が重視されていったのだ。今も。
だがしかし私は男。お金を巡ってヒリヒリした感覚は欲しい、そのヒリヒリを超えてお金を増やし、我を忘れて叫び、そしてエクスタシーを感じたい。
それが私には昔はある意味仕事、それが今では競馬になったということだ。
◆ 競馬は素晴らしい
競馬は自分の金を、好きなだけ、好きな馬に、好きな買い方で購入する権利を与えてくれる上に、
さらに金を100倍以上に増やして返してくれることすらある。
馬を見て、自分の心と折り合いをつけ、レースと勝負の流れを読み、自分の責任おいて勝負を打つ。
誰にも邪魔はされない。周囲の面々とのお金の奪い合いに勝つということしか考えていない。
競走馬と騎手の無事を祈りつつ、多くは自分の馬券を的中するか否かに全身全霊傾ける。
素晴らしい。
◆ そして起業家コンプレックスの話
自分で考えリスクを張り、勝負をして、そして勝つ。このサイクルがとても心地よい。
振り返ってみるとこれは起業家コンプレックスにも繋がるのだろうか?
自分に起業するだけとバイタリティーや運を引き寄せるなにかがあるとも思っていないし、過去バンドやりたいと思った時にバンドメンバーすら探せなかった私に仲間を集める才能があるとも思えないし、元々起業家になるといった願望は一切無い。
社会人2〜3年目の頃、社長にかわいがって頂き、様々な所や人の集まりに同席させてもらっていたことがある。
この社長は私を気に入ってくれていて、社長と社員という関係にも関わらず、私の仕事とキャラクターを認め、友達であるかのように振る舞ってくれていた。私は疎遠になった今でも大好きだし感謝している。
がしかし、究極の所、相手の土俵、つまり起業してそこそこ軌道に乗せない限り、同じ目線で話すことはないし、ずっと少しだけ下に見られ続けるのだろうなと当時感じた事がある。そしてそれは時を経てやはり外れていなかったように感じる。
余談だがその社長はその後社長の友人を社に招き、それなりのポジションを与え腹心としたようだが、結果だんだんと疎遠になっていったそうである。
例え私が別の会社でそこそこ偉くなった所できっと何も変わらないのだ。
この変な葛藤というか価値観の違いを、競馬は埋めてくる存在なのかもしれない。
今週末も稼げますように。